(過ぎたことは忘れちまえ)つらつら書くなり
カレンダー
カテゴリー
プロフィール
HN:
lenguasydialectos
性別:
男性
ブログ内検索
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
しているわけだが。普段は別に詩を読んだりはしないのだが、なんとなく今年の夏はそんな気分になっているようで、気になる本を片っ端から読み散らかしている感じだ。
きっかけはほんの些細なことだったのだが、自宅の本棚を整理していたら、誰のものかはわからない (つまり自分のものではない)谷川俊太郎の詩集が出てきたので、ざっと目を通してみたら割とおもしろい。
子供むけに、わかるように、書いているような気もするが、今こうして手に取って見ると、どうもすべて大人向けの詩のような気がする。ものすごくロックな感じがする。
詩というとこの五六年間はたぶんスペイン語の詩以外は読んだことがない。たしか去年パブロ・ネルーダ(Pablo Neruda,チリ出身)の詩集(veinte poemas de amor y una canción desesperada,20の愛の詩と一つの絶望の歌)を買ったが、あとは新聞の投稿川柳をたまに見るくらいだ。
いや、改めて考えてみると、常人よりよほど詩を読んでいるのかもしれない。
それはともかく、その谷川俊太郎の詩の中で気になったものを二つ、ちょっと載せておこう。覚書のように。
/////////////////////////////////////////
いっぽんあし かかし
おめかし かなし
なけなし かんざし
あまざらし
いっぽんあし かかし
やどなし ななし
ひぐらし あてなし
たちばなし
/////////////////////////////////////////
もう一つは抜粋で、
/////////////////////////////////////////
あなたのふむすなは
わたしのふむすなと
つながっている
あなたのうえにも
わたしのうえにも
おなじしろいくもがうかんでいる
あなたのみるうみも
わたしのみるうみも
はいいろにくれてゆく
それなのに
いま
このしゅんかんにも
あなたと
わたしは
べつべつのことをおもう
わたしは
あなたになれない
そのことの
かなしみのあまり
わたしがあなたを
だきしめるとしても
わたしとあなたが
いつか
おなじひとつのりゆうで
なみだをながすとしても
あなたのゆびの
しもんと
わたしのゆびのしもんが
ちがうように
あなたは
わたしとはちがう
もうひとりのひと
あなたは
だれ?
/////////////////////////////////////////
というかんじ、って平仮名で書く必要はないか。
どちらも暗すぎず明るすぎず、心のままに心を制御して書いているように見える。
たまにはこういうのもいい物だ。
あ、エッセイについて書いてないから、今度書こう。
あ、エッセイについて書いてないから、今度書こう。
PR
横浜線の桜木町駅からランドマークとクイーンズスクウェアを通り抜けた先にある横浜美術館を横目で見ながらさらに先へと進むと海の際のところにパシフィコ横浜なる展示会場がある。横浜市民なら大体一度は行ったことがあるだろうが、みんななんでこんなところにあるんだと思っているに違いない。途中のクイーンズスクウェアと言い、すぐれてバブル的な建物および立地である。が、横浜市民としてはぜひとも利用していただきたい、と他県の皆さんにお願いする次第である。
前置きが長くなったが、昔から非常に興味があるエジプト関係の展覧会ということで、これは行かねばと思っていたので、ちょうど天気もあまり良くなかったし、行ってみた。入場料は大人が2300円というたわけた金額(大体どんな展覧会に行っても1500~1800円くらいだ)で、たぶん今やっている横浜開港150周年記念祭に合わせたイベント値段ということと、遺物を引き上げた時にかかった費用をエジプト政府がなんとかして回収しようとしているからに違いない。学術に貢献する為なら仕方ない。
入口を入るといきなり大きな柱の破片があり、そこに大きくカルトゥーシュが二つ書いてある。要するに王様の名前が二つ書いてあるわけで、夫婦か、親子か、といったところだろう。結局私のエジプトに対する興味の80パーセントはこのヒエログリフにあるといってもいい。昔から古文書の解読にロマンを感じて仕方がない。なんとか読めるようになりたいと思い本を買って勉強したりしているが、ヒエログリフ自体の資料が日本国内にはあまりない上に、古代コプト語の知識が必要ということなので、あまりに趣味に走りすぎるのもどうかと思い、とん挫している。(その代わり日本の筆字の勉強をしているが)
海に沈んだカノープス、アレクサンドリア、ヘラクレイオンという三つの都市から引き揚げた神像、日用品、装飾品などが主で、特にわかりやすいようにスフィンクスの像がたくさん置いてあった。展示の内容を解説した文章とビデオが各セクションごとにおいてあり、わかりやすいようになっている。どうもこの展示の仕方は今の考古学展示の流行りのようだ。(この間、シカン文明展の時もそうだった。去年のコロンビアの黄金博物館の展示はそんなことはなかったのに)
ざっと見てまわって一時間半くらいだろうか、じっくり見たければ2時間はかかる。しかし結構な人出だったのでじっくり見るどころではないのが残念だった。あと、意外とヒエログリフが書いてあるものは少なかった。まぁ貴族階級以外は読めなかったということと、パピルスや染料の類は水に弱いので溶けてなくなってしまったのだろう。その点は残念だが、発掘(掘ってないか?)された経緯を考えれば仕方がない。
古代エジプト末期の王朝の物が多く、中にはギリシャ文字が書かれているようなものもあり、文化交流が盛んであったことをうかがわせるものなどもあり、非常に興味深い。
前回の続き。日本の音楽->メタル、というよくあるパターンを踏襲してきたわけだが、なかなか面白い音楽にも巡り合わず、なんとなく面白くないなと思っている頃があった。どのくらいか忘れてしまったが、たぶん半年くらいCDを全然買わない時期があって、その当時は音楽が自分の生活の大きな部分を占めていたから、何かこう窒息するような、そんな感覚があったことを記憶している。
そんなときにたまたま雑誌で目にしたバンドがThe hellacoptersというスウェーデン出身のパンク(ロック)バンドで、演奏がうまい上に曲も良かった。最初はパンクなんてどうでもいいと思っていたのだが、聞いてみたらすごく良かったし、当時の鬱屈した感情にもぴったりくるものがあった、のだと思う。そこから派生してbackyard babies もいいと思う時期があった。一般的にはbackyard babiesの方が人気があるようだ。一度フジロックにも来ていたと記憶している。が、個人的にはhellacoptersの方がいいと思うし、今だに聞くのはhellacoptersの方だ。この二つのバンドは兄弟のようなバンドで、両方に在籍していたメンバーもいるなど、似たような楽曲を最初は作っていたのだが、両方に在籍していたメンバー(ドレゲンっていう奴)が、backyard babiesのほうに専念するようになってから、hellacoptersのほうはルーツロックというか、ブルーズっぽい要素を前面に出すようになって、そこにはまった。また、このバンドは、古いロックのリバイバルをやっているバンドとしてイギリスあたりでは結構有名になり、コアな人気を博していたのだが、2008年に解散してしまった。2002年のアルバム「By the grace of god」なんかは日本でも結構な売れ行きだったはず。ただ、日本版が海外版よりかなりおくれて出たため、熱心なファンはみんな海外版を通販で買って(かくいうこの私も)しまって、国内版はかなり売れ残っていた記憶がある。たぶん今でもHMVあたりでは結構残っているはず。
やっぱり年をとってくるとどうしても勢いだけの演奏とか、そういうものはどうでもよくなる。作り手の精神世界が伝わってくるようなもの(それがクラシックだろうがパンクだろうが)、そういうものがほしくなるんだな、と振り返ってみて思う。ブルーズロックではまったのはThunderで、UKのおっさん4人組がやっているバンド。これは日本でも結構人気があり、ライブはいつも完売するくらいの人気がある。
こうして考えてみると、
ポップ(万人向け)
メタル(青少年向け)
パンク(少年~青年向け?)
ルーツロック(大人っぽい感じ)
ブルーズ(おっさん向け)
という感じで、自分の年齢がそのまま反映されて趣味嗜好になっている気がする。それは実際に作り手の側に回っている方もそうで、若い頃パンクをやってたりした連中が、普通のロックやポップ調の曲を演奏したりするようになる。それが年輪っていうモノなんだろう。誰しも年をとり、心も考え(心は魂と言い換えてもいい。これは考えとは別のものだ。悪辣な行為に及ぶ善人や善行に励む人非人はいくらでもいる)も変わってゆく。それは悪いことじゃない。むしろ良いことだ。どれだけ表層部分で同じようにふるまっていたとしても、経験の蓄積は確実に考え方を変化させる。それは否定できるものじゃないし、するべきでもない。ただ、形を変えるということがすなわち続けてきたことを止めることや捨てることに直結するわけではなく、より良い方向で自分の力や知識を利用できるように段々となってゆく。
それを成長と呼ぶのだ。
前回の音楽の話はほとんど懐古趣味のような内容になってしまって、読んだ人はなんだこりゃと思ったかもしれないけれど、別に懐古趣味は特別強い方じゃない。
ただ、高校生になったころからいわゆる洋楽を専門に聴くようになったので、現在の日本のバンドや音楽についてほとんど知識がない、というだけのことだ。
ずいぶん前に一度書いたのだが、洋楽にはまるきっかけになったのがミスターチルドレンだ。逆説的だが、日本のバンドを聞いて、洋楽にはまった。何故か。ライブの歌があまりにも下手すぎたから。今はどうか知らないが、当時大流行りしていた曲をテレビでライブ放送したのを聞いた時、あまりの歌唱力の低さに驚きあきれ、聞く気をなくしてしまった。だまされた、と思ったし、所詮流行りものは流行りものでしかない、とも思った。
そんなときにラジオで流れてきたのが、Angraというバンドの曲で、タイトルはcarry on。異常なほどのハイトーンの声に、異常な上手さのギター、音楽を斜めに見ていた当時でも一撃でノックアウトされる程の衝撃だった。(ただ今聞くと凄くポル語なまりの英語だし、一般向けではないけどね)。練り上げられたコンセプト、巧みな編曲、奇抜な音の組合せ(クラシック音楽とメタルの融合)、どれをとっても日本のバンドにはないもの、だったと思うし、いまだにそれほどの斬新さを日本のバンドから感じたことがない。(たぶんそういうバンドは国内商業ベースにあまり乗らず、インディーズで活動しているようなのが多いんだろう。”人間椅子”は結構いい線いってると思うが)
そこから始まっていろいろなバンドを聞いた。誰でも知っているようなdeep purpleとかred zeppelinとかそういうのも聞いたし、Slayer, Judas Priest, Metallica等のスラッシュメタルもかなり聞いた。個人的に一番すごいと思うのはスラッシュメタルの開祖slayerで、デビュー当時の音源はいまだに色あせることなく、革命的な衝撃力をもっている。また、この人たちは、黒魔術であるとかそういったキリスト教世界のタブーである事柄を歌詞に取り込み、世の中に挑戦した(そしていまでもしている)という点でも、ロックの原点を失わずに活動している数少ないバンドの一つと言えるだろう。
Metallicaについて語ることはない(語りつくされているから)、とは思うが、一つだけ思うのは、彼らが徹底した反権力主義者(だった、少なくとも当時は)だということ。初期のアルバムの歌詞を見ればわかるが、管理主義、監視社会への反発、過酷な生活環境への絶望を歌った曲が多い。貧富の格差の激しいアメリカで、労働者階級の歌として人気があるのだと思う。
ただ、結局メタルというのは70年代から80年代にかけてのある種のムーブメントのようなものなので、90年代にはすでに人真似のようなものばかり出てきていた。そのことに気づいて段々と興味を失ってゆき、段々とブルーズとかパンクの方へ足を踏み出してゆくことになるのだけど。現在ではメタルというとイロモノのような扱いだが、当時は革新的なものだったわけで、芸術の一形式である音楽というくくりで考えた場合、常識をひっくり返すような活動は称賛に値するし、いまだに残って活動している人たちや、20-30年たっても衝撃力を失わない楽曲などは、ジャンルの枠を超えて、良いものと考えていいのではないか、と個人的には思う。
次回、ロックへ回帰編に続く、かもしれない、気分次第で。
PS:デトロイトメタルシティ(マンガね)に出てくるのはメタルとは呼べん
どうもここ何年か感受性がマヒしていたというか、なんとなく音楽を聞こうという気がなかった。しかし映画をみたり、本を読んだりしていたら、昔好きだった音楽の事や、音楽に関する話題が目に付くようになった。
なぜだったのか、記憶があいまいなのだが、大学2年で初めてスペインに行った頃に買ったCDの事をふと思い出した。なぜだったのか、まったくわからないのだけど、とにかく思い出した。dubstarという、ちょっとコアな人気のあった、エレクトロポップ系のバンドで、イギリス人らしい皮肉の利いた歌詞が良かった。
ふと思い出したのでネットで検索してみたら、とっくに解散していたのだが、そのバンドのボーカルが新しいバンドを組んでまだ活動していた。それがCLIENTというこれまたエレクトロポップの女性三人組バンドで、某動画投稿サイトで見てみたら意外といい感じ。正統派ロックの匂いも感じられるスマートな仕上がりで全体的に好印象だった。(PVで軍服を着ていたりするのだが、ヨーロッパで女に軍服を着せたがるのは、日本で巫女さんとかの格好をさせたがるのと凄く似ていると思う)
そんな事をしているときに、ニュースのサイトか何かで、どこぞの歌手だかアイドルだかが、聖闘士星矢の主題歌をメタルでカバーしたとかなんとか、記事が出ていて、真っ先に思い出したのが、「アニメタル」。アニメの歌をメタルでカバーって言ったら、誰がどう考えてもアニメタルしかありえない、と思うのだが。これまた検索してみると2006年に活動を休止していたが、例の動画投稿サイトには山のように投稿があったので、みてみた。基本的にあのバンドはパロディーをやってはいるものの、ロック界の重鎮のような人たちが集まって演奏しているので、まぁ演奏がうまいことうまいこと。歌も本当にうまくて、あんなにうまい人はたぶん日本に何人もいないと思う。坂本英三(さかもとえいぞう)というそのボーカルはANTHEMっていうメタルのバンドを大昔からやっていて、昔買っていたメタル専門誌のBurrn(基本的に海外のバンドしか扱わない)にも時々出ていた。ANTHEMは昔から知っていたのだけどあまり興味がなくて、殆ど聞いたことがなかったのだが、ついでに聞いてみると、うまさに絶句。歌詞はゴリゴリのメタル指向で全然一般向けではないのだけれど、うまい、ということには誰も異論をはさめないと思う。
日本でメタル、と言ったら、Xは外せない。特に歌謡曲(こういう単語を書くのは久しぶりだ)の類に興味のなかった中学生の頃でも好きだったX。いまこの年になってからライブ映像を見てみると、神がかっているというか、昔は本当のカリスマ性を秘めた存在がいたんだと思う。時代が変わった、とも思う。何か、根本的に、今と、当時では、違う、と思う。バブルの頃だったから? でも、90年代の末にはもうバブル崩壊などと取りざたされていて、大学の経済の教授連中も2000年以降が大変だなどと、今にして思えば至極真っ当かつ的を射た指摘をしていた頃で、何か祭りの後のような雰囲気が漂っていた気がしてならない。盛り上がりきらない、そんな中で抜群に盛り上がる存在がXだった。ボーカルのTOSHI(懐かしすぎる)が宗教にはまってしまったのも無理はないと思わせるほど、神がかり的盛り上がりのライブ映像だった。
バンドで、X、ときたら、The blue heartsだろ。ということでこれもライブ映像を某所で見てみた。これは80年代の盛り上がり、90年の半ばのバブル崩壊とともに解散してしまった、お祭り騒ぎを象徴するかのようなバンド、それがブルーハーツ。歌詞はシュールで風刺が効いていて、世の中のお祭り騒ぎと画一化を徹底的に馬鹿にした歌が多くて、いわゆる「青少年」の心に訴えかけてくるものがあった。昔は今ほどメディアが発達していなかったから、ライブ映像を初めて見たけど、本当にCDで聞くよりライブのほうがいい。歌詞も、年取ってから聞いた方がしみじみと伝わってくる。高校生の頃にはもうハイロウズになっていたから、歌詞の傾向が変わっていてあまり興味がなくなっていたのだが、改めて聞いてみて、良かった。涙と鼻水が一緒に出てきた。甲本ヒロトの歌もいいけど、凄いのはサブリーダーの真島の歌詞で、この年になったからか、感性の素晴らしさに圧倒された、とあえて言おう。ソロ活動の方もいい曲がたくさんあり、たぶんいちばん有名なのは「アンダルシアに憧れて」で、なぜかジャニーズに楽曲を提供したものらしいが、本真島本人が歌っているバージョンはとってもいい。まぁ実際のアンダルシアを知っているとちょっとおかしい歌詞もあるけど(港町で地下鉄のある街はアンダルシアにはないし、グラナダは山奥の町だし,,,まぁそこはおいといて)心に響く。
いまだにメタルとかパンクが好きで、同時にブルースが好きなのも、Xとblue heartsの影響なのかもしれない。現代社会では学問もパンクだし。パンク最高。
上野の国立科学博物館でインカ帝国の前に栄えていたというシカン文明の遺物の展示をやっているというので行ってきた。
南米というと鳥獣類をかたどった金製品を多く利用するイメージがあるが、このシカン文明もご多分にもれず金ぴかの出土品が多い。
展覧の内容も、発掘者が日本人ということもあって、映像と出土品の両方を使って何が置いてあるのか素人にもわかりやすい。こういうのはただどこかの国の博物館から借りて来ただけの展示には無理だと思う。発掘監督の教授の事をTBSがずっと取材していたらしく、その情報を使っているのだとか。
発掘した遺跡(墓)の構造から、どんな格好で人々が埋葬されていたのか、副葬品の種類にはどんな背景があるのかなど、細かく解説してくれるビデオがあったので、かなり楽しめた。有名画家の展覧会などと比べてすいているので意外とねらい目かもしれない。
ただ、シカン文明というのはアンデスあたりに栄えたいくつもの文明の内の一つにすぎないという見方もあるので、分野としてはかなりマニアックな部類に入る気がする。とはいえ、日本人がインカ帝国の遺跡を大々的に発掘して展示会をやったりすることはほとんど考えられないので、隙間産業のようなスタンスでいろいろやる方がいいのかもしれない。
最近展覧会・展示会の類によく行くのだが、これだけ面白いのは久しぶりだった。
暇があって、南米の文物に興味がある人は行ってみるのも悪くないと思う。
最近展覧会・展示会の類によく行くのだが、これだけ面白いのは久しぶりだった。
暇があって、南米の文物に興味がある人は行ってみるのも悪くないと思う。
今回の「大人の科学」のふろくは何と!マイコンですよ。マイコン。今の子供はマイコン(Micro Computer or My Computer)なんて知らんのだろうな。子供のころほしくても絶対に買ってもらえなかった高根の花がいまや雑誌の付録に!お値段は雑誌つき(ビッグワンガム方式か?) で2500円也。
ついているCPUの種類はわからないが動作クロックは4MHzである。だいたい初代のゲームボーイと同じくらいの速度、ということらしい(ちなみにファミコンは1.79MHzだったはず。今使っているパソコンは1.33GHzで、しかもデュアルコア)。
簡単なアセンブリ言語を使って、画面表示やLED点灯、音再生などができる。ただアセンブリ言語といっても、文字列そのままではコンピュータは認識できないので、手動で16進数のマシン語(要するに数字の並び)に直して打ち込んでゆかなければならない。
かなり面倒ではあるが、こういうプリミティブなレベルで機械を制御する面白さっていうのは独特で、自分が考えた通りにものが動く、というのはある種感動的ですらある。パソコンソフトを作っている場合は、OSのブラックボックス的な部分の上っ面をなでる感じが否めないのだが、このマイコンだと相当な部分まで自分で制御できる。
とりあえず上部についているLEDを連続で点灯させて、ナイトライダーっぽい動きをさせてみた。
昔はロボットが作りたかったのだが、最近はそんなことは忘れて語学に励んでいる。今回のこの付録で子供のころの思いを少し取り戻した気がする。とりもどしてよかったのか悪かったのか、わからないけど。
最近読んだ本について覚書。
「夕子ちゃんの近道」、「パラレル」、「タンノイのエジンバラ」、「僕は落ち着きがない」
長嶋有ながしまゆう
長嶋有ながしまゆう
この二カ月くらいの間にこれらの本を全部読んだ。現代の文学・小説作品は自己陶酔の度合いが激しすぎるきらいがある(と個人的に思う)ので今まで敬遠してきたのだが、たまたま知り合いが持っていた文庫本をぱらぱらめくっていたら割とおもしろかったのでまとめて読んでみた。上にあげた四作品のうち最初の三つの主人公は、生きる目的を見失った三十代くらいの男性で、最近よくメディアに登場するような典型的なダメ人間のように描かれているように思える。が、大江健三郎賞(だったか?)を受賞しているような作品なので、駄目な部分だけを書くのではなく、それまでの人生で何が起きたのか、どんな考えを持つにいたったのか、そうして生きてゆく中でどういう結論に至るのか、そんなところまで書いているところがすごく良い。最後の一作品は、女子高生が主人公で、地味目の部活動(図書部)をしている中で、どんな事を普段感じているのか、を鋭く描いている。高校生の頃ってこういう感じ方をしていたな、と自分の年輪を否応なく感じさせてくれる。どの作品も、現代の「即金・即決・即楽しい」の三大原則の真逆を行っているので読み手を選ぶかもしれない。
「The Secret Speech」 Tom Rob Smith
昨年日本でも翻訳版が発行された「Child44」の続編。ソ連時代のスターリン体制下で、さまざまな障害を乗り越えて事件を解決した前作の続きで、今度はハンガリー独立運動時のフルシチョフ体制をからめて、主人公(レオ・スチェパーノフ)がどのように自身の問題を解決してゆくのかを描いた作品。圧政と理不尽の描写が秀逸で、背景の取材を綿密に行ったことが見て取れる。相変わらずのどんでん返しっぷりで、読者の期待を裏切らない。この本はまだ翻訳されていないが、たぶん秋口くらいには出るのではないか。
「青春ピカソ」、「今日の芸術」 岡本太郎おかもとたろう
日本の現代芸術の巨人、岡本太郎による芸術論。非常に面白い。日本の芸術界にはびこる拝西洋主義、むやみな古典崇拝などを一刀両断する文章が痛快だ。繰り返しというものが「芸術」にとってまったく意味のないことであると繰り返し強調し、西洋風の絵を真似ることに終始してきた日本の現代画を批判し、自分はそれを超えて見せたのだと豪語する姿は、見習うべきだろう。美術館などに行って鑑賞する際の自分の視点の持ち方を再確認したくなる。
「任天堂」 日本経済新聞社
日本を代表するブランドの一つである任天堂がいかにして業界トップを守ってきたのか、どのようにして新しい体験を生み出してきたのかということを、時系列でまとめつつ開発者へのインタビューを加えて解説した本。「必要のないもの」をひたすら作り続けるためにどれだけの工夫を重ねてきたのか、個人的に凄くためになる内容だった。
「コーラン」
言わずと知れたイスラム教の聖典。戦闘的であるように報道されがちなイスラム教が、どのような背景で成り立ってきたのか、に関する解説も豊富で読んでいて面白い。砂漠の部族がお互いに血みどろの争いを繰り返していた時代に、どれだけ被害を少なく済ませるか、という観点から多くの掟を明文化したもの、という考え方が一番ぴったりくるというのが個人的な見解だ。
「般若心経・金剛般若経」岩波文庫
日本の大乗仏教の教えはほとんどすべてこの二つの経典に端を発しているということなので、読んでみた。どんな宗教でもそうだが、やはり昔の階層社会を反映した考え方がちらほら見えて不愉快になるが、それでも仏教は一神教の経典よりはそういう印象が薄い。存在と非存在、論理と非論理の対比を対比として扱わず同じ物として、思考の枠組みを日常的視点から外す試み(だと思うのだが)がすごく面白い。
「コードの世界」 まつもとゆきひろ
世界中で開発されているコンピュータ言語の中で、日本人が作ったものは極めて少ない。しかし著者のまつもとゆきひろ氏が作った「Ruby」は世界中のwebサーバーで利用されるようになり、日本発のデファクトスタンダードとして有名になった。この本では、プログラミング言語の設計思想や、どのような実装がどのような意図でなされているのか、ということを章分けして詳しく解説してくれる。