(過ぎたことは忘れちまえ)つらつら書くなり
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ようやく春めいてきたと思ったら、
いきなり大雨大風の荒れ模様。
この時期はちょっと油断するとすぐこれだからこまるよ。
三寒四温と言うやつか,,,
しかし、冬の間はただただ寒いばかりだったのが、
最近は雨が降って寒い中でも、
なんとなく命の息吹のようなものが感じられて、心が安らぐ。
冬って言うのは、本当に命の気配がなくて、
せいぜい冬の鳥くらいしかいないので、なんとなくどんよりした気分になる。
だから、今日のような日でも、一ヶ月前の晴れの日よりも、
なんとなく晴れやかな感じがするのは、気のせいなのだろうか。
なぜ早稲田かといわれても返事に困るわけではない。
たまたま仕事帰りに早稲田大学で仕事をしている友人に出くわし、
そのまま早稲田をちょっと案内してもらった。
早稲田大学の構内には、なぜか博物館があり、
劇作家かなにかの特別展とか坪内逍遥の常設展とかがあった。
特別展のほうは、非常に面白く、昭和初期の劇場のポスターとか、
そういうものがたくさん置いてあり興味深かった。
ソ連時代に日本で上演されたロシヤ文学の劇場版のポスターがあり、
当時のロシア語の日本語読みがどういった形でなされていたのかを、
現代に伝えてくれている。
実際には、より原語に近い発音がされていたようだ。
近年の何でも英語化して発音すればいいというようなたわけた風潮を、
当時の人が見たら大笑いすることだろう。
ソビエト->サウエト
ゴ-リキ-->ゴオリキイ
などなど、ロシア語での発音に近い表記がなされていた。
それだけ劇作の中でのソ連の地位が高かったということでもあろうが,,,
いずれにせよ言語教育を考える上で、
カタカナ英語の氾濫を憂えるのなら、
カタカナ英語外国語の氾濫にも注意するべきだろう。
たまたま仕事帰りに早稲田大学で仕事をしている友人に出くわし、
そのまま早稲田をちょっと案内してもらった。
早稲田大学の構内には、なぜか博物館があり、
劇作家かなにかの特別展とか坪内逍遥の常設展とかがあった。
特別展のほうは、非常に面白く、昭和初期の劇場のポスターとか、
そういうものがたくさん置いてあり興味深かった。
ソ連時代に日本で上演されたロシヤ文学の劇場版のポスターがあり、
当時のロシア語の日本語読みがどういった形でなされていたのかを、
現代に伝えてくれている。
実際には、より原語に近い発音がされていたようだ。
近年の何でも英語化して発音すればいいというようなたわけた風潮を、
当時の人が見たら大笑いすることだろう。
ソビエト->サウエト
ゴ-リキ-->ゴオリキイ
などなど、ロシア語での発音に近い表記がなされていた。
それだけ劇作の中でのソ連の地位が高かったということでもあろうが,,,
いずれにせよ言語教育を考える上で、
カタカナ英語の氾濫を憂えるのなら、
カタカナ英語外国語の氾濫にも注意するべきだろう。
最近天気が良いので機嫌もよい。
まぁいろいろといざこざもあるが、
個人的には別に大したこともない。
最近食生活を見直している。
少し前までは、何でもかんでも手当たり次第に食べていたのだが、
どうも体が受け付けなくなってきたようだ。
疲れも取れにくいし、胃袋もいつも重たい感じがしていた。
というわけで、摂取するカフェインの量を減らした。
好きなコーヒーもできるだけ飲まない。
紅茶もやめ、緑茶も飲まない。
でもお茶は飲みたくなるので、
最終的にミントティーを飲むことにした。
これが結構味も良い。
カフェインレスで体にも良い。
これぞ一石二鳥。
スペイン語でいうところの、
Dos pάjaros a un tiro.
というやつだね。
こういうネタを使うのは、ものすごく久しぶりだ。
今日は久しぶりにプログラミングもしたし、
なんだかいろいろとやる気がわいてきて、
とてもいい感じがする。
いつもこうだと、なお良いのだが。
それはないものねだりというものかな,,,
まぁいろいろといざこざもあるが、
個人的には別に大したこともない。
最近食生活を見直している。
少し前までは、何でもかんでも手当たり次第に食べていたのだが、
どうも体が受け付けなくなってきたようだ。
疲れも取れにくいし、胃袋もいつも重たい感じがしていた。
というわけで、摂取するカフェインの量を減らした。
好きなコーヒーもできるだけ飲まない。
紅茶もやめ、緑茶も飲まない。
でもお茶は飲みたくなるので、
最終的にミントティーを飲むことにした。
これが結構味も良い。
カフェインレスで体にも良い。
これぞ一石二鳥。
スペイン語でいうところの、
Dos pάjaros a un tiro.
というやつだね。
こういうネタを使うのは、ものすごく久しぶりだ。
今日は久しぶりにプログラミングもしたし、
なんだかいろいろとやる気がわいてきて、
とてもいい感じがする。
いつもこうだと、なお良いのだが。
それはないものねだりというものかな,,,
今日はひなまつりだったわけですが、
べつに小さな女の子が身の回りにいるわけでもないし、
特別な感慨はないのだ。(バカボンのパパみたいだ)
しかし、三月というともう春に近いというイメージもあるし、
実際に梅が咲き始めたりしていて、春が待ち遠しくなってくる。
日差しも暖かくなってきて、
毎日コートにくるまって生活しなければならない日々も、
もう少しで終わりだと思うとうれしい。
そういえば、去年は梅の名所に行ったんだった。
今年もちょっと行ってみようかな。
最近、職場が荒れているので、心も荒む。
せいぜい花でもみて、少しは気を晴らしたいものだ。
もの思うところあって、最近法律を勉強し始めた。
やはりインチキを見抜くためには法律を知る必要がある。
特に最近は、裁判員制度なども騒がれているし、
素養として身につけておくのも悪くない。
あぁ、人生の時間って限られているよなぁ。
やりたいことがたくさんありすぎて困ってしまう。
主に勉強だけれど、知りたいことがたくさんありすぎる。
語学もコンピュータも美術も歴史も法律も、
それ以外のことも知りたいぞ!
べつに小さな女の子が身の回りにいるわけでもないし、
特別な感慨はないのだ。(バカボンのパパみたいだ)
しかし、三月というともう春に近いというイメージもあるし、
実際に梅が咲き始めたりしていて、春が待ち遠しくなってくる。
日差しも暖かくなってきて、
毎日コートにくるまって生活しなければならない日々も、
もう少しで終わりだと思うとうれしい。
そういえば、去年は梅の名所に行ったんだった。
今年もちょっと行ってみようかな。
最近、職場が荒れているので、心も荒む。
せいぜい花でもみて、少しは気を晴らしたいものだ。
もの思うところあって、最近法律を勉強し始めた。
やはりインチキを見抜くためには法律を知る必要がある。
特に最近は、裁判員制度なども騒がれているし、
素養として身につけておくのも悪くない。
あぁ、人生の時間って限られているよなぁ。
やりたいことがたくさんありすぎて困ってしまう。
主に勉強だけれど、知りたいことがたくさんありすぎる。
語学もコンピュータも美術も歴史も法律も、
それ以外のことも知りたいぞ!
気がつけば二月も下旬になってしまった。
早いもので、今のところで働き始めてから、
もう半年もたってしまった。
その間色々とあったが、どうにかやってきた。
でも最近色々精神的に良くないことばかりで、
ブログを書く気もうせる。
問題の発生源は自分ではなくて、
とばっちりを受けているのだ。
対処の仕様が無い。
そんなことを考えていたら、
ネガティブな考えばかり頭に充満してしまった。
なので、一寸気分を変えて、ブログでも書いてみることにした。
やはり、何かを書いたりしているときは、
内省が深まる感じがするので、
たまには書かないと、
自分のだめなところが加速度的に増えてゆく。
明日は久しぶりに平日休みなので、
一寸遠出でもしてみようかなぁ。
どうしようか,,,
早いもので、今のところで働き始めてから、
もう半年もたってしまった。
その間色々とあったが、どうにかやってきた。
でも最近色々精神的に良くないことばかりで、
ブログを書く気もうせる。
問題の発生源は自分ではなくて、
とばっちりを受けているのだ。
対処の仕様が無い。
そんなことを考えていたら、
ネガティブな考えばかり頭に充満してしまった。
なので、一寸気分を変えて、ブログでも書いてみることにした。
やはり、何かを書いたりしているときは、
内省が深まる感じがするので、
たまには書かないと、
自分のだめなところが加速度的に増えてゆく。
明日は久しぶりに平日休みなので、
一寸遠出でもしてみようかなぁ。
どうしようか,,,
今年は二月に入ってからひとつも記事を書いていないことに気づいた。
色々と書きたいことはあるのだけれど、
書いてしまうと問題になることもあり、記事の数は減るばかりだ。
どうでもいいことなら書かないほうが良いような気もするし、
書くと言う作業自体から遠ざかってしまっていた。
しかし、ブログを閉鎖するならともかく、放置するのは良くないよね。
人の書いたブログは見たりするわけだし、自分の個人的なことを、
ウェブ上に放置しておくのは非常によろしくない。
と言うわけで、ログをとった後に、昔のデータは消してしまおうかと考えている。
まだ決めたわけじゃないけれど、消してしまったほうがよさそう。
などと考える今日この頃です。
色々と書きたいことはあるのだけれど、
書いてしまうと問題になることもあり、記事の数は減るばかりだ。
どうでもいいことなら書かないほうが良いような気もするし、
書くと言う作業自体から遠ざかってしまっていた。
しかし、ブログを閉鎖するならともかく、放置するのは良くないよね。
人の書いたブログは見たりするわけだし、自分の個人的なことを、
ウェブ上に放置しておくのは非常によろしくない。
と言うわけで、ログをとった後に、昔のデータは消してしまおうかと考えている。
まだ決めたわけじゃないけれど、消してしまったほうがよさそう。
などと考える今日この頃です。
最近色々なことを見聞きする機会があったのだが、
どうにもまとまらないので記事にしなかった。
しかし、記事にしないで放っておくと、
だんだんと記憶が風化して、結局内容があいまいになってしまう。
というわけでまとまらないまま記事にすることにした。
先週末に院時代の仲間連と会う機会があったのだが、
そのうちの一人の兄が、「情熱大陸」にでると言う話になった。
「情熱大陸」っていうのは、最近良くあるタイプの、
「こんなにがんばっている人がいるから日本人もっとがんばろうぜ!
って言っておかないといけないような気がするから作りました」
っていう感じの番組です。
そのとき出ていた天文学者の人の話は面白かったのだが、
いかんせん番組のつくりが粗雑で、面白みを活かしきれていない。
裾野を広げると言う意味ではいいのかもしれないが、
最近の民放にありがちな、「判らないのが当たり前」的発想が、
どうにも鼻について仕方が無かったのが残念だ。
どうせならNHKとかBBCかどこかで作って欲しかったね。
横山大観展にも行って来た。
今までは名前は知っていても、どんな人なのか知らなかったので、
いい機会だと思ったのだ。
会場の国立新美術館は、いかにも慎太郎らしい嫌らしい名前だが、
中身はそれほど嫌らしくない。
展示の内容は結構充実していて、年代別に作品が並べてあり、
連作のものなども、数をそろえて展示をしている点が好印象だ。
彼はどうも伝統的な山水画をもっとも得意としたようだ。
少なくとも、かれの作品のなかで気に入ったのは、
ほぼすべて山水画であった。
どの作品からも、形の無いものの形を捉えることに心血を注いでいたことが伺える。
晩年になると、時代背景(昭和初期)を反映して、
富士山から後光が差しているような絵ばかりになり、
何か凝り固まった印象を受けた。
やはり、大観の絵は、形の無いものを捕らえているものが良いと思う。
どうにもまとまらないので記事にしなかった。
しかし、記事にしないで放っておくと、
だんだんと記憶が風化して、結局内容があいまいになってしまう。
というわけでまとまらないまま記事にすることにした。
先週末に院時代の仲間連と会う機会があったのだが、
そのうちの一人の兄が、「情熱大陸」にでると言う話になった。
「情熱大陸」っていうのは、最近良くあるタイプの、
「こんなにがんばっている人がいるから日本人もっとがんばろうぜ!
って言っておかないといけないような気がするから作りました」
っていう感じの番組です。
そのとき出ていた天文学者の人の話は面白かったのだが、
いかんせん番組のつくりが粗雑で、面白みを活かしきれていない。
裾野を広げると言う意味ではいいのかもしれないが、
最近の民放にありがちな、「判らないのが当たり前」的発想が、
どうにも鼻について仕方が無かったのが残念だ。
どうせならNHKとかBBCかどこかで作って欲しかったね。
横山大観展にも行って来た。
今までは名前は知っていても、どんな人なのか知らなかったので、
いい機会だと思ったのだ。
会場の国立新美術館は、いかにも慎太郎らしい嫌らしい名前だが、
中身はそれほど嫌らしくない。
展示の内容は結構充実していて、年代別に作品が並べてあり、
連作のものなども、数をそろえて展示をしている点が好印象だ。
彼はどうも伝統的な山水画をもっとも得意としたようだ。
少なくとも、かれの作品のなかで気に入ったのは、
ほぼすべて山水画であった。
どの作品からも、形の無いものの形を捉えることに心血を注いでいたことが伺える。
晩年になると、時代背景(昭和初期)を反映して、
富士山から後光が差しているような絵ばかりになり、
何か凝り固まった印象を受けた。
やはり、大観の絵は、形の無いものを捕らえているものが良いと思う。