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(過ぎたことは忘れちまえ)つらつら書くなり
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kawa.png今日は終戦記念日ということで、テレビなどでも特集が組まれていた。正直言って毎年気にしているわけではないが、今年は何となく気になる。世の中不穏だし、天気はおかしいし、自分の生きざまも順風満帆とは言い難い(個人的には大凶の年、浅草寺のおみくじが当たった)からだ。
 
戦争をしたことで、日本は周辺国から憎まれている。いまでも憎まれ続けている。どれだけ経済的なつながりが深まろうと、これから先もこの問題はずっとくすぶり続けるだろう。その上、日本の経済力が今よりもっと落ち込むようだと、意趣返しをされる可能性が非常に高い。
 
かなりの外国人労働者として日本に入ってきている。彼らの多くは劣悪な環境で働き、雀の涙の給料をもらい、道端で罵倒され、仲間同士で助け合って何とか生きている。
もし、日本人がそういうことをしなければならないような立場になったら、どうなるだろう?しかも今の世の中のように、他者を否定的にとらえ、批判することで満足しているような風潮が続いたとしたら?
 
外国に行って働かざるを得ず、仲間内で協力できず、孤立して生きるのか?生きられるのか?
 
私の住んでいる町から少し離れた所に工場地帯がある。川沿いにいろんな業種の企業が集まっていて、大小取り混ぜて数えきれないくらいだ。そういったところで働いている外国人は、意外と多い。そして、凄くまじめに働いている人が多い。
 
JR横浜線の、新横浜の隣の小机駅と鴨居駅の間に古ぼけた民家が密集している場所がある。最近そこにルーマニアかエクアドルの国旗を掲げているところがある。記憶に間違いがなければ、その住宅からさほど離れていない鶴見川沿いのアパートにずっとその国旗がかかっていた。要するに、日本でずっと働いていて、一軒家を購入するような外国人もいるということになる。「もし自分が外国人労働者なら、そんなことができるか?」「いや、むずかしい」と結論をつけざるを得ない。
 
日本は息苦しい国だ、と思うこともある。とにかく組織というものが重んじられ、組織以外のことはどうでもいいという文化がある。一方、海外(特に西欧諸国)では個人というものが重んじられ、もっと自由があると思われがちである。しかし、実際に自分が西欧の組織で仕事をしてみてわかったことがある。
彼らには、一般の(特に都市部の)日本人が享受しているような自由はない。
仕事はカネとコネだけで動くし、キリスト教的タブーが社会全般の規律になっていて、自由な考え方というものは実はあまりない。実力主義、と思われがちな西欧社会も、実際はカネとコネがある人間に資本を集中させて、その一握りの人間だけで社会を動かそう、ということなのだ。もちろんそこでは黄色人種の利益は後回しだ。
 
結局、日本人が一番居心地良く感じる国は日本だ。それに、どれだけ頼りなくとも、日本政府以外は日本人を守らない。日本の外には「ハレ」の日には何でも許されるといった文化がなく、場所自体が「ハレ」とされているところ(渋谷・六本木・青山・新宿・秋葉原など)もない。
日本の唯組織論には辟易するが、組織の外には世界で(たぶん)唯一の多様な選択肢がある。その中でこれからも生きていきたいなら、この沈下しつつある国をもっと盛り立てていかなければいけない。伝統文化も現代文化も、自分たちの生活に深くかかわっている。そして身近な外国も、自分たちの社会にかかわっている。
 
すべてを大切にするのは不可能だが、少なくとも考えてみることはできるし、何か一つを自分で守ってゆくこともできると思う。順番に試してみてもよい。
 
小さな積み重ねが、環境を変える、と考えてみよう。
まずは知ってみよう。自分の世界の外の事を。
他者を否定しても何もよくなることはない。
こう自分に言い聞かせた。
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