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(過ぎたことは忘れちまえ)つらつら書くなり
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某のりなんとかの話じゃないよ。

yugatou.jpg最近いくつか詩集を買って読んでみた。具体的には、高村光太郎と中原中也を買ったのだが、はっきりと好みの違いがでる内容だった。高村光太郎のほうは、人生の伴侶を得て、自分の人生に意義を見出している感じがあるが、中原中也のほうは孤独で、人生の意義を常に問うているような文章だ。

詩というのは見方によっては暇人のお遊びでしかないが、それでも長い間読み継がれてきているものには、なにがしかの真実が含まれているに違いない。それは誰でも体験するようなことかもしれないし、珍しいものかもしれないが、多くの人の共感を呼ぶものだ。

個人的には、感性の唯一性に重きをおいて考えることが多いし、詩人というのも特殊な感性の持ち主であるはずだ。それでもなお共感したり、共感を呼ぶ文章を書けるのは、人間には、他者とかかわりたいという欲求が、食欲などと同じレベルで存在しているからだと思う。要するに、大事なのは、言葉の美しさではなく(大事ではあるが根本ではない)言葉による社会の一般化、人間関係の一般化、なのではないか。

社会の動きや人間の感情に対する洞察力・観察力、それを駆使して美しい文章を作り上げる、それが詩人の根本なのかな、と思う。
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