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(過ぎたことは忘れちまえ)つらつら書くなり
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tsukiyo.jpgいま朝日新聞で森見登美彦が連載小説を書いている。「聖なる怠け者の冒険」という作品で、例によって無気力っぽい学生がとりとめもないことに執着する話だ。この作者は段々と筆力が上がっているような気がする。ばかばかしいとおもわれがちなことをさも重要であるかのように書くのがすごくうまい。実際考えてみると、自分以外は全員自分ではないし、自分にとって大事なものが他人にも大事に思えるかどうかはわからない。むしろ他人にとってはどうでもいい物が自分にとってはすごく大事なものだったりする。この作家は、感性の絶対的個人性というものをむき出しに描くことがうまくて、感心する。
 
新聞小説はまだまだ完結もしそうにないので、内容についてコメントしようがないが、一昨日くらいに本屋へ行ったら同じ作者の「きつねのはなし」が文庫になって出ていたので買ってみた。最近は文庫本でもやたらと高いが、この本の値段は500円。今時珍しい良心的価格だ。
 
収録されている4本の短編をとおして、きつね(というかケモノ?)がカギになっている。一つ一つの作品にそれぞれのしかけがあり、嘘と真の間をいったりきたりする。たとえば、前の筋のなかでのホラや偽の登場人物のようなものが、次の短編では実在のものとしてあつかわれている。日本の古典的怪談のような話運びも相まって、幻惑される感じが気に入っている。
 読んでいて、語り口が夏目漱石に似ていると感じる。文章の節回しというか、リズムのようなものが似ている。それとも単純に明治っぽさのようなものを出したいのだろうか。その辺は作者のことをよく知らないのでわからないが、一世紀前の様式美を意識的に追い求めているのかもしれない。

 作者の出身地の奈良も大学生活を送った京都も、日本の古典文化が集積されている都市である。あくまで個人的視点に立って言うと、ことばが蓄積されている土地である。文化は口伝にしろ文献にしろ、言葉によって残され、言葉によって体験されてゆく。絵画も広い意味では記号であるし、題や銘のない作品はほぼ存在しない。そうとらえれば、広い意味での伝達の手段としての「ことば」と考えてもいい。
 古典に日常的に触れていて、感受性が人並み以上にあれば、好むと好まざるにかかわらず自分の体や考えに蓄積されてゆく。そういったものが文章にしみているのが、この作家の魅力なのかな、と思う。
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