(過ぎたことは忘れちまえ)つらつら書くなり
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本屋大賞2009に選ばれたという「告白」という作品、内容を読めばなぜこれが文学賞のみならず普通の小説の賞に選ばれず、本屋大賞に選ばれたのか、ということがわかるはず。
ある学校の先生と生徒の話をいろんな視点で語ってゆく形式で、人間の心の描写や、他人との断絶のようなテーマとしてはすごく面白いのは確かだし、小説としても面白いのは間違いない。しかし、全体的に腐臭が漂うというか、ただ単に後味が悪いストーリーと言うだけではない、厭な感じがする。
一般的に、小説と言われるものの中で売れるのはだいたい2つの種類がある。ひとつ目はもちろんストーリーがしっかりしていて、内容が文句なく面白いもの、もう一つは、いわゆる大衆の価値観や、ステレオタイプ等をひたすら肯定し、読み手を安心させるもの。
ひとつ目は村上春樹とかそういうタイプ、二つ目は今野敏とかがあてはまるだろうか。そしてこの湊かなえは間違いなく二つ目のタイプに分類できる。一見大衆的な妄信を全面否定しているようにみえるが、実は2ちゃん的なステレオタイプを積極的に肯定して、自意識過剰なオタク層を取り込もうという意図が透けて見えるのは気のせいか?
ようするに、「売るための文章」なのだ。だから当然「売れる」し、書店は大喜びで、「本屋大賞」をとれる。でも売るための文章は文学にはなりえないし、小説作品としてかんがえたときに、内容を積極的に肯定できない「知識人」も多かろう。それゆえ「文章の」賞は取れない。
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