忍者ブログ
(過ぎたことは忘れちまえ)つらつら書くなり
カレンダー
05 2025/06 07
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30
プロフィール
HN:
lenguasydialectos
性別:
男性
ブログ内検索
[13] [14] [15] [16] [17] [18] [19]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

統一地方選挙がおわりまして、
世間ではミンシュが躍進したとか、
ジミンは微減であるとか、
シンタローが相変らずの毒舌をはいているとか、
(反省しているから、といって投票した人はマヌケ(失敬!)ですね。
反省なんてするわけがない)
いろいろとあるようです。

しかし今回感じたのですが、市民が欲しているのは、

・カネになるひと(ハコモノをつくりたがるひと)
・若い人
・外見のよい人
・国会議員が応援している人(有名なひと)

の四つのうちのどれかのような気がします。
まぁ一番のカネになる人というのは当たり前といえば当たり前ですが。
最近は議員が私腹を肥やしているというような報道もなされていて、
カネカネ言う人は余りいなくなりましたが、
結局最終的に物を言うのはおカネですね。

たとえば大政党以外の人がよく主張している、
社会保障の充実を実施するにしても、財源が必要になるわけで、
この先の財源を確保するには、若い世代をどんどん
応援していかなければならない。
となるとやはり若い人に入れることになる。

要するに、お金か若さがない人は、基本的にだめで、この二つのうちのどちらかがある人の中で、外見がよかったり、国会議員が応援していたりする人に入れていると思われる。

要するに、マニフェストが何とかとかいろいろといわれてはいるが、
一般の人はそんな物には興味がないし、読んでもいないのですね。
カネと時間(若さ)と有名さ、これらが選挙のほぼ全ての要素を担っていて、政策がどうとか、正義がどうとか、等の点はまったく結果に反映はされないのです。

つまりそれは、多くのひとは正義だとか政策であるとか言うことには、
まるで関心がなく、目の前の自分の利益のことしか考えていないということで、この先の四年間に政界に何が起きようとも、それは自分達の選択の結果であるということを、まるで認識してはいないということです。

まぁ三日たてば誰に投票したのかも忘れて、議会が悪いの政治家が悪いのと言い出すのでしょうが、そもそもそういう人たちを選んだのは、あなた方ですよ。と常に報道する必要があるのだが…。
お金に絡めとられた報道機関にはそんなことをする余力がないんですね。

普段生活していると、セイジと言う物は自分達の生活からはかけ離れた物であるかのように錯覚してしまうが、実はそんなことはなく、毎日駅まで通う道やそこに設置されている電柱や、ゴミ集積所の場所や、上下水道など、全てセイジ家(屋)と役所が一体となって計画・設置している物だ。
つまり、誰を選ぶかということに、普段の生活が大きく左右される。
五十代以上の人ばかりの議会であったなら、例えば三十代以下の人間の意見が、公共施設や施策に反映されることは絶対にありえません。

議員は自分が次回当選するためのことをしますから、
自分達に投票しそうもない人のための政策などは絶対にやらないからです。市民派を気取っている政治家にしてもそうです。
彼らを動かすのも票であり、老人介護や社会保障の充実を唱えてはいても、若い世代の労働問題であるとか、市や県の産業振興といった若い人向けの政策はまるで考えていません。

ただ、若ければやはり経験が少ないので、あやふやな政策が書いてあったりしますが、投票する人は、政策の内容には興味がない人ばかりなのだから、あまり関係ないのかもしれません。
PR
今日は、たまたま用があって銀座に行ってきた。
用が済んで帰ろうかと駅へ向かうと、
歌舞伎座の前に大きな垂れ幕がかかっていた。
歌舞伎座です
「義経千本桜」は有名な演目ですよね。

正直に言うと、内容はよく知らなかったのですが、
まぁ見てみるのも悪くないかと思って値段を見てみた。
正確には記憶していませんが、A席が1万二千円
b席が八千円 c席が三千円ぐらいだったので、
やめようかと帰りかけたのですが、
よくよく見ると一幕だけ見るというチケットがある。

これまた知らなかったのですが、今日やっていた
義経千本桜は「通し狂言」といわれるもので、
朝から夜までかけて、一つの作品を演じるというもの。
つまり、1~2時間の芝居を4~5幕演じる形式なのでした。

一幕いくらかというと、千円でした。
プロ(しかもトップクラス)の芝居を二時間見て千円というのは
破格の値段だと思うがどうだろうか。

ちなみに四階席だったので、役者はかなり遠くにいるのですが、
舞台全体がちゃんと見られるように配慮されていて、
なかなかいい雰囲気でした。
観客席の間を通るようなせり出した部分は見えないのですが、
その部分で演じられることはほとんど無いので、
ほぼ全部を見ることができます。

みた芝居の内容はこんな感じ:

第二幕 渡海屋(とかいや)
義経が鎌倉幕府に追われて九州へ落ち延びるとき、
ある一軒の船宿で船を借りようとするが、
実はそこの船宿は平家の残党(平知盛)が張ったわなだった。
船着場で襲われるのだが、義経と弁慶が返り討ちにする。
襲撃が失敗したと知った平家の女官たちは、
みな海に身投げをしてしまい、
そのときにまだ幼い姫を道連れにしようとするのだが、
それを義経がやめさせる。

平知盛は、最後の最後まで義経を切ろうとするのだが、
義経の姫への情けを知って自らも海へ身投げをして、
女官や部下たちの後を追ったのだった。

なかなか文字にし難いが大体こんな感じでした。

たまたま隣にスペイン人の女の子が座って、
さらにその隣にウルグアイ人のおばちゃんが座る、
という偶然のめぐり合わせもありました。
手持ち無沙汰そうにしていたので、
幕間に内容をさらっと説明してあげたりして、
これも日西友好の為になるかなぁとひとりで考えたりもした。

そうそう、
「たまや!」とか「かぎや!」とか合いの手を入れるのがありますよね。
あれを実際にやっているのをはじめてみました。
「高砂屋!」とか「常磐屋!」とか、
合いの手を入れるのがうまい人と下手な人がいて、
下手な人は役者のせりふが始まるところに入れてしまったりして、
役者が一瞬息をこらえたりするという一幕もありました。
まぁああやって客も練習しないといつまでたってもできないから、
役者の方でも仕方が無いことだと割り切っているのでしょうね。

なんだかまた行ってみたくなるほど、上質の演劇でした。
今度は普通のチケットを買って、せめてC席には入りたい,,,
今日は妙にくたびれる日だった。
別に何か特別なことがあったわけでもないのに。
どうしたんだろうか。肩こった。

なんてことを書いていたら思い出したことがある。
この間、都内に朝からエイゴの試験を受けに行ったときのこと。

申し込みが遅かったこともあり、
朝八時からの試験になってしまった。
久しぶりに六時台の電車に乗り一路東京へ。
渋谷駅に到着した頃、なんとなく眠かった俺は目を閉じていた。
その時、電車に誰かが乗ってきて、大声で何かをわめき散らした。
わけの分からないやつに絡まれたくも無いので、
そのままうとうとしていたのだが、そろそろ目的地に着くかと思い、
目を開けるとそこには電車の床に転がる男の姿が…
しかもうつ伏せになって、微動だにしない。
近くには荷物が散乱し、めがねが飛んで落ちていた。

さすがに驚いた。

次の駅で誰かが駅員を呼んできて、
その男に声をかけた。

―「もしもし!大丈夫ですか!」
―まったく返事が無い。(ただの屍のようだ。というわけでもない。)
×20回ぐらい。

―「…よし、おろしましょう!」
まったくもう、としたうちをしながら、
駅員が三人がかりで男を電車から運び出し、
ようやく電車は動き出した。

どうもひどく酔っ払っていたようだ。
夜通し飲み続けたんだろうなぁ。

おかげで時間ぎりぎりの到着となってしまい、
冷や汗をかいたが、とにかく無事テストは受けることができて、
ほっとしたのだった。

何か文章を書こうと思っても、あまりテーマが浮かばない。
今まで頻繁に更新されていた他人のブログなども、
更新頻度が落ちているようだ。
やはり年度末ということもあり、みなせわしないのだろうか。
多分そうだろう、と勝手に納得してみる。

自分はどうかというと
多分四月の頭が一番忙しいと思う。
理由は,,,
理由は知っている人だけ知っていればいいや。
納得できないか。

個人的にはその後どうすんだというのがあるのだが、
それも大体決まった。
ウェブ上で公開はしないけどね。
納得してもらわなくてもよい。

どうすんだーと考え続けてはや5年。
時のたつのは本当に早い。
でも前より自分の中にエネルギーがある。
とりあえずそれで納得しておこう。
なんだかネタはあるのだけれど、
ブログに書く気になれなかったりして、
更新がどうも滞り勝ちな管理人です。

最近は、妙に暖かいこともあり、
またぞろ写真でも撮って回ろうかと思っているのだが、
近所の神社はかなり回ったので、別なネタがほしいところ。

養豚場とか養鶏場なども、
河川敷沿いにいくつかあるのだけれど、
趣味で写真撮りたいから見せてくれというのもずうずうしすぎる。

寺,,,はちょっとなぁ。
観光地ならともかく、一般の寺といえば、
お墓があるところであって、
どうにも居心地というのはよくない。
大体神社と違って人の出入りが割りとあるので、
ゆっくり写真も取れないしねぇ。

それはさておき。
いろいろあって、いろいろと考えさせられて、
この先どうしようかとか、延々と考えてもいい知恵は浮かばず。
しょうがないので行動に出ることにしました。

もともと俺は、知性は低くは無いものの、
ずば抜けて高いというわけでもなく、
地道な活動を通じて、脳の働きを高めてきた。
その自分が体の活動をとめてしまうと、
ジリ貧状態になってしまって、どうにもならない。

最近ちょうどそんな感じでした。
でも、ちょっと資格を取ろうと勉強したり、
通信教育の講座を探したりしていると、
なんだか調子がよくなってきた。

やはりたまには新しいことをせねばなぁ。
としみじみ思ったのでした。

ブログのデザインもそろそろ変えようかな。
久しぶりに床屋へ行った。
大体二ヶ月に一回程度しか行かないので、
毎回「久しぶりだな」と思うのだが、
とりあえずそんなことはどうでもいいか。

毎回悩むのが、どこの床屋へ行くか、だ。

だいたいどこの床屋へ行っても、
あまりに下手すぎる床屋というのはまずいない。
今まで一回だけ本当に下手な人、
というより年をとりすぎていて、
手元が明らかにおかしくなっている人にあったことがあるが、
それは例外中の例外だといえるだろう。

しかし、話し好きの床屋というのは、
個人的には好きじゃないのだ。
髪を切っているときぐらい、
他人に気を使わないでゆっくりしたい。
お世辞なんて言いたくも聞きたくもない。

しかし腕のいい床屋というのは、
大体話し好きである。
ここが悩ましい点だ。

今回行ったのは、横浜市役所そばの、地下街にある床屋だ。
この地下街には美味しいお店がそろっており、
ランチタイムにはどこの店も混んでいて、
なかなかいいところです。
その中にぽつんと床屋が一軒あって、異彩を放っている。
食堂街に床屋。見事なミスマッチ。

いざそこの床屋に入ってみると、おっさんが二人、
手持ち無沙汰そうにしていた。

ひとりは無愛想・もうひとりは妙に丁寧な物腰で、
ここにもまた妙なミスマッチ?ぶりが発揮されている。

妙に丁寧な人の方にやってもらったのだが、
まぁきり方もゆっくりで、動きも妙に儀式ぶっているというか、
「我輩はア~チストである」とでもいいたげな感じがぷんぷんした。

最初のうちは普通にきっていたのだが、
そのうちに昔話が始まった。
桑田の専属だったとか、バースとフィルダーも担当したとか、
ニューヨークの床屋でスティーブンセガールのヘアメイクをしていた、
などなど本当かうそか分からない話を延々と始めて、
(しかし公平に見て七割がた本当だろうと思う)
それにつれて手の動きがゆっくりとなってしまった。
「もう一寸速くやってくれー」という心の叫びが届くはずも無く、
自慢話を一時間あまり聞かされてしまった。

しかしさすがにいうだけのことはあって腕はよく、
きれいに髪を切ってくれた、それがせめてもの救い。
しかし、時間は戻ってこないからな~。
複雑な気分です。
最近どうにも運動不足なので、
気合をいれてロードワークに出た。

いつもなら河川敷を走って、平地ばかりは通っているのだが、
今日はいつもとは違うコースをたどってみた、
河川敷の途中にある橋(袂には神社がある)から、
丘を登ると、ちょっと開けた場所がありそこにもうひとつ神社がある。
そこに以前写真を取りに来たときから、
アップダウンが激しくてトレーニング向きだと目をつけていたのだ。
そこから裏道を通り(下り)開けた道へ、
しばらく道なりに進んでからもう一度丘を登る。
そこにもやっぱり神社がある。

この三つの神社は、もともと同じ村の神社だったらしい。
災害で壊れたり、分祀したりして三つになったとか。

いずれにしても、その付近の丘の上か、
丘のふもとには神社が点在している。
岡の上にあるものは大体山の神や富士山の神さまを祀っており、
ふもとのものは農業の神様、つまり稲荷や地神が多い。
まぁ土地柄がそのまま現れるのだ。

いずれにせよ、その神社の変遷を自転車でたどると、
ものすごくいい運動になる。
久しぶりに心臓がバクバクした。

ちょっとがんばりすぎたらしく、
家に帰ったら軽い貧血になってしまった。
「血が足りねぇ~、食いもんもってこい~」
という感じ。

まぁいいストレス解消になりました。
よく考えたら週末は節分だったのだ。
豆まきなどして、まめをぼりぼり食べた。
まだ三十個は食べなくてよいが、
次第に近づいてきたと実感してしまった。
うん。人生正念場。

ここのところ天気がよくて気分がよい。
いろいろとストレスがたまることが多いのだが、
横浜公園にて猫と戯れてストレス解消などしてみる。

ついでに寿司もたべてみる。
寿司はうまい、いつ食べてもうまい。
大盛にしてもう少し食べたいな。

ネタといえば,,,
去年は神社ねたを追っていて、だんだんわかってきた事などを
少しまとめて文章にしているのだが、資料が見つからなくて、
なかなか説得力ある文章にならない。

歴史的資料というのは、概して値段が高いので、
図書館にいって借りるなりその場で読むなりするなどしないと、
とてもやっていられない。
遅々として進まないが、考えをまとめる作業は楽しい。
なかなかおくが深いというか、できることはいくらでもある。

地元の神社事情をまとめ終わったら、
今度は別のネタを追いたいと思う。
忍者ブログ [PR]