(過ぎたことは忘れちまえ)つらつら書くなり
カレンダー
カテゴリー
プロフィール
HN:
lenguasydialectos
性別:
男性
ブログ内検索
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
統一地方選挙がおわりまして、
世間ではミンシュが躍進したとか、
ジミンは微減であるとか、
シンタローが相変らずの毒舌をはいているとか、
(反省しているから、といって投票した人はマヌケ(失敬!)ですね。
反省なんてするわけがない)
いろいろとあるようです。
しかし今回感じたのですが、市民が欲しているのは、
・カネになるひと(ハコモノをつくりたがるひと)
・若い人
・外見のよい人
・国会議員が応援している人(有名なひと)
の四つのうちのどれかのような気がします。
まぁ一番のカネになる人というのは当たり前といえば当たり前ですが。
最近は議員が私腹を肥やしているというような報道もなされていて、
カネカネ言う人は余りいなくなりましたが、
結局最終的に物を言うのはおカネですね。
たとえば大政党以外の人がよく主張している、
社会保障の充実を実施するにしても、財源が必要になるわけで、
この先の財源を確保するには、若い世代をどんどん
応援していかなければならない。
となるとやはり若い人に入れることになる。
要するに、お金か若さがない人は、基本的にだめで、この二つのうちのどちらかがある人の中で、外見がよかったり、国会議員が応援していたりする人に入れていると思われる。
要するに、マニフェストが何とかとかいろいろといわれてはいるが、
一般の人はそんな物には興味がないし、読んでもいないのですね。
カネと時間(若さ)と有名さ、これらが選挙のほぼ全ての要素を担っていて、政策がどうとか、正義がどうとか、等の点はまったく結果に反映はされないのです。
つまりそれは、多くのひとは正義だとか政策であるとか言うことには、
まるで関心がなく、目の前の自分の利益のことしか考えていないということで、この先の四年間に政界に何が起きようとも、それは自分達の選択の結果であるということを、まるで認識してはいないということです。
まぁ三日たてば誰に投票したのかも忘れて、議会が悪いの政治家が悪いのと言い出すのでしょうが、そもそもそういう人たちを選んだのは、あなた方ですよ。と常に報道する必要があるのだが…。
お金に絡めとられた報道機関にはそんなことをする余力がないんですね。
普段生活していると、セイジと言う物は自分達の生活からはかけ離れた物であるかのように錯覚してしまうが、実はそんなことはなく、毎日駅まで通う道やそこに設置されている電柱や、ゴミ集積所の場所や、上下水道など、全てセイジ家(屋)と役所が一体となって計画・設置している物だ。
つまり、誰を選ぶかということに、普段の生活が大きく左右される。
五十代以上の人ばかりの議会であったなら、例えば三十代以下の人間の意見が、公共施設や施策に反映されることは絶対にありえません。
議員は自分が次回当選するためのことをしますから、
自分達に投票しそうもない人のための政策などは絶対にやらないからです。市民派を気取っている政治家にしてもそうです。
彼らを動かすのも票であり、老人介護や社会保障の充実を唱えてはいても、若い世代の労働問題であるとか、市や県の産業振興といった若い人向けの政策はまるで考えていません。
ただ、若ければやはり経験が少ないので、あやふやな政策が書いてあったりしますが、投票する人は、政策の内容には興味がない人ばかりなのだから、あまり関係ないのかもしれません。
世間ではミンシュが躍進したとか、
ジミンは微減であるとか、
シンタローが相変らずの毒舌をはいているとか、
(反省しているから、といって投票した人はマヌケ(失敬!)ですね。
反省なんてするわけがない)
いろいろとあるようです。
しかし今回感じたのですが、市民が欲しているのは、
・カネになるひと(ハコモノをつくりたがるひと)
・若い人
・外見のよい人
・国会議員が応援している人(有名なひと)
の四つのうちのどれかのような気がします。
まぁ一番のカネになる人というのは当たり前といえば当たり前ですが。
最近は議員が私腹を肥やしているというような報道もなされていて、
カネカネ言う人は余りいなくなりましたが、
結局最終的に物を言うのはおカネですね。
たとえば大政党以外の人がよく主張している、
社会保障の充実を実施するにしても、財源が必要になるわけで、
この先の財源を確保するには、若い世代をどんどん
応援していかなければならない。
となるとやはり若い人に入れることになる。
要するに、お金か若さがない人は、基本的にだめで、この二つのうちのどちらかがある人の中で、外見がよかったり、国会議員が応援していたりする人に入れていると思われる。
要するに、マニフェストが何とかとかいろいろといわれてはいるが、
一般の人はそんな物には興味がないし、読んでもいないのですね。
カネと時間(若さ)と有名さ、これらが選挙のほぼ全ての要素を担っていて、政策がどうとか、正義がどうとか、等の点はまったく結果に反映はされないのです。
つまりそれは、多くのひとは正義だとか政策であるとか言うことには、
まるで関心がなく、目の前の自分の利益のことしか考えていないということで、この先の四年間に政界に何が起きようとも、それは自分達の選択の結果であるということを、まるで認識してはいないということです。
まぁ三日たてば誰に投票したのかも忘れて、議会が悪いの政治家が悪いのと言い出すのでしょうが、そもそもそういう人たちを選んだのは、あなた方ですよ。と常に報道する必要があるのだが…。
お金に絡めとられた報道機関にはそんなことをする余力がないんですね。
普段生活していると、セイジと言う物は自分達の生活からはかけ離れた物であるかのように錯覚してしまうが、実はそんなことはなく、毎日駅まで通う道やそこに設置されている電柱や、ゴミ集積所の場所や、上下水道など、全てセイジ家(屋)と役所が一体となって計画・設置している物だ。
つまり、誰を選ぶかということに、普段の生活が大きく左右される。
五十代以上の人ばかりの議会であったなら、例えば三十代以下の人間の意見が、公共施設や施策に反映されることは絶対にありえません。
議員は自分が次回当選するためのことをしますから、
自分達に投票しそうもない人のための政策などは絶対にやらないからです。市民派を気取っている政治家にしてもそうです。
彼らを動かすのも票であり、老人介護や社会保障の充実を唱えてはいても、若い世代の労働問題であるとか、市や県の産業振興といった若い人向けの政策はまるで考えていません。
ただ、若ければやはり経験が少ないので、あやふやな政策が書いてあったりしますが、投票する人は、政策の内容には興味がない人ばかりなのだから、あまり関係ないのかもしれません。
PR
この記事にコメントする